2022年10月15日
行ってみました‥「重文指定:中村家住宅」
本日はまだ夏のような少し汗ばむ秋晴れの美しい日になっております。思い立って午前中に浜名湖畔の雄踏町(※遠江国宇布見村)にある重要文化財:中村家住宅 を拝見しようと出かけてみました‥
中村家は徳川家と太いつながりのある旧家です。徳川家康の次男:於義丸(後の結城秀康)はこの家で出生しています。母は家康の側室:お万の方、正妻:築山殿との確執はつとに知られるところです。
於義丸は11歳で豊臣秀吉の養子(※実質は人質)となり、17歳で結城晴朝の養子にまたもや出され、終には越前福井藩の藩祖となる数奇な運命を辿り、34歳の若さで亡くなっています。
↓ 入口の長屋門‥‥
↓ 重文指定の主屋です‥‥豪壮な寄棟の茅葺屋根、重厚な柱や梁などの見事さには、大庄屋としてのこの家の格式が表れています‥‥
↓ 土間の一画には大好きな“へっつい”が‥‥
↓ 台所の窓と下水の設備‥‥
↓ 茶室もあります‥‥
↓ 庭の一部‥‥水枯れしている‥‥
↓ 抱衣塚(えなづか)‥‥於義丸の後産を埋めた塚です‥‥
本日は偶然にもこの中村家を会場としたイベント(お茶会、書道展、コンサート、講演会など)の開催日に当たっていまして、けっこうな賑わいでありました。
ずいぶん前に山岡荘八著の「徳川家康全巻」を読んだことがありますが、その時から常に中村家には行ってみたいと気にしておりました。
しかし、いつでも行ける近さが災いしてか、間合いが長く長ぁ~くなっておりました。
来年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、この中村家がどう係わって出てくるかが今からの楽しみでもあります‥
先日、裁ち板 のご案内をいたしましたが、全四枚について、既に行き先が決まっております。遅れをとった方々にはまことに申し訳ございませんでした‥
中村家は徳川家と太いつながりのある旧家です。徳川家康の次男:於義丸(後の結城秀康)はこの家で出生しています。母は家康の側室:お万の方、正妻:築山殿との確執はつとに知られるところです。
於義丸は11歳で豊臣秀吉の養子(※実質は人質)となり、17歳で結城晴朝の養子にまたもや出され、終には越前福井藩の藩祖となる数奇な運命を辿り、34歳の若さで亡くなっています。
↓ 入口の長屋門‥‥
↓ 重文指定の主屋です‥‥豪壮な寄棟の茅葺屋根、重厚な柱や梁などの見事さには、大庄屋としてのこの家の格式が表れています‥‥
↓ 土間の一画には大好きな“へっつい”が‥‥
↓ 台所の窓と下水の設備‥‥
↓ 茶室もあります‥‥
↓ 庭の一部‥‥水枯れしている‥‥
↓ 抱衣塚(えなづか)‥‥於義丸の後産を埋めた塚です‥‥
本日は偶然にもこの中村家を会場としたイベント(お茶会、書道展、コンサート、講演会など)の開催日に当たっていまして、けっこうな賑わいでありました。
ずいぶん前に山岡荘八著の「徳川家康全巻」を読んだことがありますが、その時から常に中村家には行ってみたいと気にしておりました。
しかし、いつでも行ける近さが災いしてか、間合いが長く長ぁ~くなっておりました。
来年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、この中村家がどう係わって出てくるかが今からの楽しみでもあります‥
先日、裁ち板 のご案内をいたしましたが、全四枚について、既に行き先が決まっております。遅れをとった方々にはまことに申し訳ございませんでした‥
Posted by 兎座2 at 14:02│Comments(0)
│物見遊山